お寺の縁起
岡山市北区上中野に堂塔を構える正福寺(しょうふくじ)は昭和47年5月、旧宗善寺と旧正福寺が合併して、「宗善山正福寺」(そうぜんざん しょうふくじ)として落慶になった日蓮宗の寺院です。
合併以前の旧正福寺について…
寛永2(1625)年、池田公が国替えのため鳥取城より備前岡山に入城された折、その一門縁者の発願により、本妙院日宥(ほんみょういんにちゆう)上人を開山として、現在の岡山市北区中央町に4,000m²(約1,210坪)に及ぶ浄地を求め建立されました。その堂塔伽藍は岡山における本宗上3ヶ寺としての偉容を誇っていました。
しかし、その伽藍も昭和の大戦による空襲のため全焼し、終戦後は区画整理のため境内を分断、縮小となったため、現在地への移転復興が計画されました。
合併以前の旧宗善寺について…
文亀2(1502)年、松田左近将元喬の一子左衛門佐が開基檀越となり、日誠上人を開山として、現在の岡山市北区今保に建立されました。以来100年の間に七堂伽藍が整備建立され中国屈指の法華道場として隆盛を極めましたが、不受布施派弾圧の余波にあい全焼しました。貞享2(1685)年、全焼した旧宗善寺が 旧正福寺の末寺として復興することになり、これより両寺の間に本末関係が続き、親交を深めてきました。
旧正福寺と旧宗善寺の合併について…
時代は下り昭和になり両寺とも先の大戦により寺観が疲弊し、復興が待たれる中、浄地を上中野に移し昭和47年に両寺が「宗善山 正福寺」として合併し、復興を遂げました。 以来、50年をこえる月日が経過し、当地上中野は目まぐるしく発展、当寺も地域に根ざし、鐘楼門、諸堂の建立整備など発展を遂げ現在に至ります。